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ちょびってどんな子?1(誕生~障害に気づく)

 ちょびは1998年7月1日帝王切開で生まれた。

 結婚後最初の出産まで8年の不妊期間があったわりには、お兄ちゃんに引き続き2年後という快挙だった。生まれたときはかわいくて愛おしくて、夢にも「しょうがい」の文字は浮かばなかった。そこが自閉症の残酷さだと思う。最初の1~2年は障害があることがまったくわからないのだ。 

ちょび誕生

お兄ちゃんが2年前に生まれたとき、骨盤が狭すぎて頭が通らないとの理由で、さんざん陣痛に苦しんだ挙句緊急帝王切開になったため、第二子のちょびは最初から帝王切開が予定されていた。予定日は7月半ばだったが、陣痛が来る前にということで、日にちを選ばされた。ちょびの誕生日はちょび自身が「生まれたい」と望んだ日なのではなく、私が決めたのだ。覚えやすい、という単純な理由で(爆)。

 生まれたとき、産声がなかった。部分麻酔で意識のあった私は、泣かない赤ん坊の口に医師たちがチューブを差込みんごご~っと口の中の液体を吸い取っている姿を見て、涙を流しながら「がんばれ~がんばれ~」とつぶやくしかなかった。長く感じたがほんの数十秒だろうか?やがて紫色のどろどろした赤ん坊は「んげら~」と声を上げて泣いた。「よかった~よかったよ~」と泣いたところまでは覚えているが、「あんたうるさいからちょっと眠りなさい」と麻酔ガスを吸わされて、次第に意識が遠ざかった。

 その後の入院生活でも高熱が続いたり、赤ん坊のお乳の飲みが悪かったりとなんだかんだあったりして大変な思いもしたのだが、今思えば一筋縄ではいかない育児を暗示していたのかもしれない。

 でもちょびはすくすく育った。よく眠る、めったに泣かない、お乳の間隔が6時間とか平気であく。生まれたての赤ん坊がこんなに楽でいいのだろうか?そう思いながらも当時魔の2歳児で反抗期まっさかり(おまけにトイレトレーニング難航中)の長男るるに振り回され、疑問に思う余裕もなく時は過ぎていった。

1歳まで

あんなに飲みが悪かったのに、1ヶ月を過ぎるとどんどんミルクを飲むようになってころころ太ってきたちょび。相変わらずおとなしくて寝ている最中もきょろきょろすることもない。3ヶ月健診ではあまりの頭のいびつさに、恥ずかしかったものだ。ほとんど三角形だったもん。しかも顔は太って大きくて、お世辞にもかわいい赤ちゃんではなかった。そのころから魔の二歳児のお兄ちゃんに振り回され、少しでも育児に楽をしたい私が「早く一人でミルクを飲んでくれないかなぁ」と思って買ったのがストローの先に乳首がついた哺乳瓶。でもちょびはうまくくわえることができず、かといって自分でビンを持つでもなく、このころから「すっごい不器用だな~」と感じた。おもちゃに手を伸ばしてもうまくつかめない、持たせてもすぐに落とす。確か一歳の健診で「なんかすごく不器用なんですけど」と小児科医に相談したとき「太りすぎだからだろう」と言われたはず。おい(怒)

 それからいわゆる「赤ちゃん芸」がなかなか身につかなかった。普通赤ちゃんに向かって何かすると「真似ようとする」のは見受けられるはず。しかしちょびは「きょとん」とした顔で見るばかり。「ね~」と言って首をかしげるといっしょに首を傾げるとか、ばんざーいとかあわわとかお手手ぱちぱちとか、お兄ちゃんは色々かわいいことをした時期だったはず…。そんな漠然とした不安も誕生日の日、やっと「おつむてんてん」らしきことを始めたので「相当のんびりさんだね~」と笑い事で済まされていた。

障害に気づく

うちの子達はとにかく中耳炎を繰り返した。ちょびも例外ではなく鼻水を出せばやがて熱が出て耳垂れが出てというお決まりのフルコース。とうとう長男「るる」が鼓膜の中に水がたまる滲出性中耳炎というのになった。軽い難聴の状態だ。当然ちょびもその疑いあり。

かかりつけの耳鼻科医が「言葉は出てる?」と聞く。「いいえ」「えっ?!一言も?」「はい、まだまったく…」そんな会話の後、耳鼻科医は「ちゃんと調べたほうがいいと思うよ…」と県の保健センターの案内をくれた。とりあえずは聴力が正常かどうか?という検査だ。しかし後々になって知る。これは自閉症児がたどるお決まりのコースであったのだ。人からの呼びかけに無反応なことが多いため、まずは難聴を疑う。ほとんど自閉症児には難聴はみつからない。それどころか大好きなお菓子の包み紙の音ならばどんなに小さくても飛んでくるのだから。聞こえていないのではなく、自分の名を呼ばれているとか人から働きかけを受けている、と言う認識ができないのだ。

 とにかく、幸か不幸かちょびには滲出性中耳炎の難聴が現実にあった。だから私はほっとしたのだ。障害なんかじゃなかった。病気のため一時的にちょっと耳の聞こえが悪かっただけだ。中耳炎を治せばいいんだ。

 でも依然として心は晴れない。反応の悪さはそれで解決するとして、ではこの手は?

 1歳代の赤ちゃんに器用も不器用もあるもんかと思われますか?私だって器用を望んでなどなかった。ただあまりの「手の使えなさ」に愕然とした。不器用と言う前に、自分の手を使おうとしないのだ。見慣れぬものがあれば赤ちゃんなら手を出してさわってみるだろう。ところがちょびは手を中に浮かせたまま、じっと見つめるのみで、手を出そうとしないのだ。後になって思えばこれは「触覚過敏」のせいだろう。今でもちょびはべたべたした感触のものはさわれない。

 とにかくちょびの一歳半健診を前に「やっぱりなにかある」という疑惑は大きくなっていくばかりだった。

 市の一歳半健診で、積み木を積む課題や絵本の指差しも最初からやらせるつもりはなかった。できるわけがないのだ。そのかわり私は「いかにこの子が心配か」を力説した。普通は保健婦さんから「ちょっと心配です」と言われた母が「何言ってるのよ!この子に障害があるはずがない!」と突っぱねるということになるのが多い。でも私は「絶対この子は普通とは違う。それが何なのか知りたい」という気持ちが大きかった。案の定健診後残されて心理の部屋で待たされた。他の母子の前でくるくる回ったり前を見ずに走り回って転んだりぶつかったりのちょび。私は心身ともに疲れていた。「この子はやっぱりヘンだ」という漠然とした不安が確信に変わりかけていた。心理の部屋の前で待っているうちに疲れて寝てしまったちょびを見て「申し訳ないけれどまた後日にしましょうか?」と保健婦さんが言った。なんのアドバイスも指針もないまま、その日は重いちょびを抱いてくたくたになって帰った。心が鉛のように重かった。

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