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ちょびってどんな子?2(通園施設時代)

ちょびはお兄ちゃんがいたおかげで「?」と早期に気づくことができ、乳児期からH市にある色々な形の福祉サービスを受けてきた。1歳半健診後のフォロー母子通園(週3回)、障害児通園施設、そして加配つきの保育園…。ほかの自治体の話を聞いても、H市は比較的恵まれたほうだと思う。

「自閉症スペクトラム」という診断後

一歳半健診で見事引っ掛かったちょびは少し春めいてきた頃、心理検査を受けることになった。2歳前ということで母親からの聞き取り式の発達検査だ。おもちゃが置いてある狭い部屋。ちょびはおもちゃが入っていた缶のふたを覗き込み、その中で目の合った心理判定員に向かってにっこり笑った。

「ああ、自閉症を心配していましたが、ちゃんと目が合いますね。自閉症じゃありません」

 私は当時ちょびの「知的障害」を心配していた。自閉症って何よ?そんな心配最初からしてないって…。おろかな母は「そうですよね」とどうでもいい返事をしてその後を待った。
「お母さんからお聞きした状態から判断しますと、今現在1歳8ヶ月ですが、発達年齢は1歳に満たない、ということになりますね。ちょっと遅れがあるように思います

これは一種の宣告のはずなのだが、私にはぴんと来なかった。「遅れ」という言葉は落とし穴がある。遅れているのならがんばればいつかは追いつくわけよね?な~んだ。障害じゃないんだ。やっぱりのんびりさんなのね。早く追いつきたくて、すすめられるまま市の健診後フォロー機関である「F園」に母子で通うことに決めた。

 この判定員が「自閉症ではない」と結果を急いだのは明らかに間違いである。視線が合いにくいといわれる自閉症児だって、びっちりと目を合わせてくることはあるのだ。ちょびは今でも視線を合わせられないわけではないが、自分が叱られるとか都合の悪いときになると明らかに目が泳ぐ…。逆に「何かがほしい」と真剣に訴えてくるときにはびしっとこちらの目をみつめる。このように視線が合う、表情が豊かである、よく笑うなどで「自閉症ではない」と言い切るのは早計だ。にこにことよく笑う表情豊かな自閉症児だっているのだ。

 そしてさらに言うならば、私は早期発見早期療育のために、専門家は言葉をごまかさずありのままに現状を親に伝えるべきだと思う。

 その後、児童相談所でもう一度発達検査をしてもらったとき、その判定員はこう言ってくれた。

「残念ながらこの子には遅れがあります。この遅れは生涯続くものと思われます」

ほらね、一言付け加えられただけで、こんなにわかりやすいでしょ?ああ、障害の宣告なんだ、と感じた。ショックだったが真実なのだから、ちゃんとコトバをごまかさないで「一生涯続くものですよ。がんばって普通になるものでもないんですよ」という宣告は必要だと思う。今ではこの判定委員に感謝している。ま、人によるのかもしれませんが。

 F園に通う2歳ちょうどの夏、ちょびは愛知県コロニーで「自閉症スペクトラム」と診断された。夫婦そろって話を伺った医師が「自閉症」と言い切らなかったのはちょびの対人面が比較的良好なためであり、ここ最近の新しい概念である「自閉症スペクトラム」という状態を富士山にたとえて説明してくれた。

「富士山はどこから始まるのか、駿河湾からすでに富士山だという人もいるかもしれないし、3合目あたりからが富士山だという人もいるでしょう。少なくとも雪のかぶっている部分は誰が見ても富士山です。今までの『自閉症』という概念はこの雪をかぶった部分のことだったけれど、今は広い裾野のすべてを『自閉症スペクトラム』としてとらえ、障害の重い軽いにかかわらず同じ対応をすべきだという考え方になっているのです」

 そこで私たち夫婦は質問した。「ちょびは雪のかぶった部分なのではないのですね?」
「はい、少なくともその部分ではないと思います」
それで十分だった。裾野かもしれないじゃないか。まだこんなに幼いちょびだもの。これから療育しだいでどんどん裾野に、平野部分に近づいていけばいい。当時の私たちはとにかく「自閉症」からちょびを遠ざけておきたかった。まだ自閉症というものがよくわかっていなかったのだから。自閉症はどこか体一部分の「病気」なのではなく、その人の「人格」そのものだということを知らなかったのだから。

F園(1歳~2歳)

ちょびが診断されたころ、ちょびは市の一歳半健診後フォロー機関である「F園」に通っていた。自宅から30分くらいかかる市のはずれ。週に2回、隔週で3回。10時から2時までお弁当持ちで母子で通う。ベテラン保母さんが3人おり、5~6組の母子のクラスに分かれる。ダウン症などで早期にわかっている子以外は障害と宣告されている子はほとんどいない。みんな「ちょっとコトバが遅れてるけど、うちの子は障害なんてない。そのうち追いつく」と思っているお母さんがほとんど。事実大方の子達はここに通っている間にどんどんコトバも出始め、やがて年少から普通の保育園や幼稚園に入っていくことになる。しかし、中には追いつくどころかどんどんと違いが歴然とし始め、障害を認めざるを得なくなる子もおり(そのほとんどは自閉症)、そういうお母さんにはこのF園は地獄以外の何者でもないと思う。生涯で一番つらい時期だといってもいいだろう。そういうデリケートな時期にかかわる専門家は本当に心してほしい。その何気ないコトバ、何気ないしぐさでいとも簡単に弱っている母親の心がずたずたにされるのだ。

 ちょびの担任はベテランのH子先生という先生だった。この人は本当に子どもが好きで保育士という仕事を選んだのだろうか?と今でも思う。あからさまに人のデリケートな心に土足で踏み込み、相談に乗るというスタンスではなく、いかにもワイドショー的に根掘り葉掘り知りたがり、それをいとも簡単に他言する。自分を慕ってくる子どもにはやさしいが、かかわりの難しい子にはあからさまにいやな顔をする。だって「人とうまくかかわれない」ためにここに来ている子もいるのに、そういう子を疎ましくあつかっていいの?

 F園に入園して数ヶ月たって、ちょびが「自閉症スペクトラム」と診断されたことをH子先生に告げたとき、その「そうだったの~?!」というなかば嬉しそうな顔を私は忘れない。そして「ちょびくんが自閉症なら、あの子はもっと重いわね」と、まったく障害に気づいていない他のお母さんへの陰湿ないじめが始まった。露骨に子どもの特徴をあげつらい指摘するのだが、何もわからないお母さんはおろおろするばかりで、もっと他に言い方があるのに、と見ていてもつらかった。こんな環境でちょびが「療育」されているとは思えなかった。「まだ幼いんだしそんなにあわてなくても…」というなんの説得力もないH子先生や園長先生のコトバを振り切って、私はちょびと一緒にF園を飛び出し、「C学園」という障害児通園施設に措置されることとなった。ちょびは2歳を少し過ぎていた。

C学園(2歳)

 C学園はお隣のT市立の毎日母子通園の障害児通園施設だ。私の住むH市にも立派なT学園という障害児通園施設があるが、そこは母子分離の単独通園でとても人気があり、その時点では定員がいっぱいだった。もう二度とF園には帰りたくないし、私も療育方法を学びたい気持ちがあった。T学園が4月から入れるということだったので6ヶ月の穴埋めとして隣の市のT市立C学園を選んだのだ。でも後にこの6ヶ月は貴重であったことに気づく。

 見学に行ったとき、朝の会の最中だった。F園のように就園前の小さな子は少なく、年少年中の子が多かった。そして初めて本物の自閉症児を間近で見た。お名前を呼ばれたらは~いと返事をして手を上げ、ボールを先生から受け取り、同じ色のかごに入れる、という弁別の課題の入った出席取りだ。明らかに自閉症とわかる年中くらいの男の子は名前を呼ばれても天井を見たまま。お母さんがひじをささえて手を上げさせる。ボールを先生が渡す。ボールも先生も見ないでぽろりと落とす。お母さんに促されかごのところまで行くが、意味不明な音を発しながら手をたたき始め、ぴょんぴょん飛ぶ。結局先生とお母さんがボールをかごに入れ終わらせた。他の子どもたちも同じような結果だった。ハーイとお返事ができた子もいない。にこにこうれしそうに先生の顔を見る子もいない。人の働きかけに反応をすることがないのだ。

 私はさすがにショックを覚えた。ちょびが自閉症スペクトラムであることは事実だろう。そして私はそれを認めた。しかしそうしてちょびが障害児であるということを認めるということは、この世界にちょびを送り込むことなのだ。当時ちょびは2歳3ヶ月で、発語は少なかったが名前を呼ばれると手を上げてお返事をすることも、「時計はどこ?」という質問に指をさすこともできた。表情も豊かで関われればにっこりと顔を見ることもできるのだ。でも自閉症という名がついてしまえば、重くても軽くても居場所はここしかない。とにかくちょびには療育が必要なのだから。

 私の人生の中でこのC学園に通った6ヶ月は忘れられないだろう。ちょびの障害がどの程度なのか。予後はどうなのか。どう療育すればいいのか。そもそもいったい自閉症とは何なのか?それを毎日毎日死に物狂いで探していた。年少のお兄ちゃんを保育園に送り出してから、毎日母子通園をし、帰ってくればインターネットや本をむさぼり読んで頭の中は自閉症一色だった。つらい時期だった。

と、同時にちょびに目を見張る成長が見られたのもこの時期だ。コトバがどんどん出てきた。思い当たる理由の一つがC学園名物、給食後の母子課題時間に毎日やった「トーキングカード」だろうか。機械にカードを通すと音が流れてくる。たとえば「猫」のカード。「ぬきあし、さしあし、しのびあし…にゃ~ご。ねこ」と効果音も抜群でちょびは大喜び。カードの絵を見る、音を聞く、まねるを繰り返すうち、すっかり覚えてしまった。「手」のカードを見せるとうきうきして待つ。流れる音と一緒に「て、て、ぱんぱんぱん、たたいて、たたいて、ぱんぱんぱん…手!」。この機械、どうやら今まであまり活用されていなかった様子で、私が見つけて毎日使い始めてから、他のお母さんも競うように手に取り始め、なかなか利用できないくらいの競争率になってしまった。他にもモンテッソーリの教具が一式全部そろっていたり、すばらしい備品の数々なのに、先生方もいまひとつ使い道をご存知ないようで、活用できていないのがとても残念だった。

 F園とは違い、C学園は「障害児通園施設」というしっかりした位置づけのため、先生方もお母さん方も障害としっかり向き合い、前向きに毎日を送っていた。ここで知り合ったお母さんたちに教えられることがとても多く、今でもそのお付き合いは続いている。学生時代の友達が結婚や出産などの環境が変わって疎遠になるのとは違い、障害のある子どもを持つということは、生涯変わらない。一生を通じての同じ境遇の友人になれるのだ。ちょびが2歳のときの出会いである。

T学園(2歳~3歳)

 2歳児の春から、ちょびは市内の障害児通園施設「T学園」に通うことになった。立派な感覚統合室を持つ県内でも有数の充実した設備で、原則的に母子分離の単独通園なのでとても人気が高い。市外からも希望者が多くちょびの障害がわかった時点では定員いっぱいで半年待たされたのだ。

 ちょびがそれまで通っていたC学園からの転園仲間や健診後フォロー機関の「F園」からも数名いたので,新入園児のほとんどが顔見知りというとても心強いスタートだった。

 ちょびのクラスは最年少の「赤1組」で6名の子に先生が二人つく。先生のうち一人は以前お兄ちゃんの保育園にいた先生で顔見知り。そしてちょび担当の先生はベテランでとても腕のよさそうなM先生だった。これは後々本当にラッキーだったと実感することになる。同じ通園施設の先生でも熱意、経験、センス、人柄、子どもや親との相性といくつかの条件がそろって初めて「いい先生」となる。ちょびは相性の悪い相手というのはあまりないが、特に過敏な自閉症児には相性はとても大切な要因だろう。とにかくM先生は私たち母子にはバツグンの先生だった。

 粗大運動、微細運動ともに動作面の問題の大きいちょびは、ここで「体の使い方」を重点的に鍛えてもらった。感覚統合、色々な大型遊具を組み合わせたサーキット、大豆遊び、新聞やぶり、部屋中を埋め尽くすホカホカのおから、T学園名物ぬたくりなどの感覚刺激あそびなど、家庭ではできないようなダイナミックな遊び。苦手なこともたくさんあったけど、ちょびはM先生の上手なリードで本当によくがんばった。ちょびは歌が好きですぐに覚えて唄う。それをうまく利用したM先生はなんでもちょびを主人公にした替え歌にしてくれて、それに乗せられてちょびはがんばれたようだ。今まで子供同士でなんか遊べなかったちょびだけど、ここに来てお友達とかかわる楽しさを知ったようだ。クラスにダウン症の子など非自閉の子が多かったせいもあるかもしれない。追いかけっこをしたり、おもちゃの取り合いをしたり、遅ればせながら子どもらしく遊べるようになってきた。

 T学園は通園バスが回る。うちから車でほんのちょっとの市立図書館前がちょびのバス停だった。そこはお兄ちゃんの保育園にも程近く、朝はお兄ちゃんを保育園に送ってから、帰りはお兄ちゃんをお迎えに行ってから、時間との戦いでバス停まで走った。この兄弟別通園のおかげでおにいちゃんは丸二年お友達の家に遊びに行く約束もできずに、かわいそうなことをしたものだ。あまりにどたばたと月日がたったため、正直言って今振り返ろうとしても、二人の育児の思い出がすっぽり抜けている。断片的に「バス停でバスを待つ私たち」「お兄ちゃんのお迎えで『早く早く』とせかしながら走っている私たち」の情景などが思い出されるのみだ。

 思い出したらぼちぼち書いていこうと思う。(私は記憶力があまりよくないようだし)。ただ、T学園の当時の園長先生のことは書いておきたい。実は昨晩お通夜に行ってきたのだ。T学園のことをここに書きたいと思っている時期に、まさか園長先生の訃報が入ってくるとは…。本当に障害のある子供たちのことを気にかけ、お母さんの話を聞き一緒に涙し、先生方を叱咤激励し、元気でかわいいおばちゃん先生だった。お通夜でちょびに「園長先生にさようならするよ」と言って焼香したとき、ちょびはわかったのかわかってないのか、小さな手を合わせて「ばいばい」とつぶやいた。遺影があの頃のままにこにことちょびを見ていた。涙が出た。本当にかわいがってくださってありがとうございます。ちょびはこんなに立派に大きくなりました。天国から先生の育てた子どもたちをいつまでも見守ってくださいね。

 T学園に一年通い、身辺処理など苦手なことも多いが、ぐんぐんコミュニケーション能力を伸ばしたちょびは、年少にあがる年に普通保育園に進むことになった。お手本になるような子どもがいない通園施設では、ちょびのいいところが伸びないだろうという親と園長先生の判断だ。いよいよ普通児の荒波に母子ともに旅立つことになるのだ!

 

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コメント

めめさん こんにちは!
カイパパです。

ブログ発見! ココログで始められたんですね。
さっそく私のMyblogListに登録させていただきます。

よろしければ私のブログも訪問してみてくださいね☆
お互いぼちぼちとやっていきましょう(^^)

うわ~~。コメントいただけてすごくうれしいです。
お子さんの障害がわかってから心理士になられたのですか。すごいな~。私も自閉症に関しては、そこらの保母さんや保健婦さんよりは詳しいかもしれません(笑)。
またぜひお話しましょう。ほんとうにコメントありがとうございます。またよろしくね。

コンニチハ。はじめまして、Sanaです。
子供の障害を告げられるときの気持ちは何とも言えないですね。うちにもADHDの子供が一人いて、多分そうだと分かっていたけどはっきり告げられたときは大泣きしました。私は今は心理士として子供の障害を伝える方の立場にいますが、ご両親に子供の状況を伝えるときが一番辛いです。親としては周囲の誤解とか無理解とかまだまだ悩みはつきませんが、お互いがんばりましょう。(^_^)/


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